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世界はこう変わる

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2012年8月22日

1989年の世界を回想すると

今、「ワルのすすめ」という本を書いているので、ブログの方はしばらく過去の面白い記事の復刻でしのぐことにする。
以下は1990年はじめの「外交フォーラム」誌に掲載された僕の論文、「欧州から見たヤルタ体制の崩壊」。

これは、1989年秋、ベルリンの壁開放など東欧ソ連圏の崩壊を受けて書いたもの。
僕は1989年7月まで外務省の東欧課長を2年間やっていて、東欧ソ連圏の崩壊を予想しつついくつか手も打って、これから面白くなるというところで、定期人事異動をくらった。スウェーデンに飛ばされて、バルト海の彼岸からベルリンの壁崩壊と冷戦の終焉を眺める羽目となった。

その頃は、ソ連圏の崩壊とかソ連そのものの崩壊を自分の目で見たことは究極の歴史体験で、これを上回ることはもうないだろうと思ったものだ。ところが、今日本のまわり、東アジアで起きていることは、この400年来の西欧植民地主義体制の終焉に他ならず、50年も続かなかった冷戦とはスケールが違う。

その目からこの論文を読むと懐かしい。まだ中国のことは念頭にまったくなく、ヨーロッパとかアメリカのことばかり考えていればいい時が戦後何十年も続いていたことがわかる。

そして1989年と言えば、日本経済の膨張と、日本人の増長「もう欧米から学ぶことは何もない」がほぼ頂点に達したころだ。日本は冷戦にタダ乗りして大きくなった。その冷戦が終わり、日本経済苦難の道が始まろうとしている時点での論文であることも、また感慨深い。
ということで復刻版ですみません。


欧州から見たヤルタ体制の崩壊        1990年2月 

西欧の新聞は,二月一八日の日本の総選挙をどれも大きく扱った。彼らが女性蔑視と決めつける日本に,土井たか子というスーパー・スターが現れたのが新鮮な驚きだったこともさりながら,やはり世界第二の経済大国日本の行方が,世界全体に係わるものとして大きな注目を浴びたのだ。たとえ彼らの気持ちの底に,日本の成功に対するいまいましさが相変わらず残っているとしても,一昔前には考えられなかったことである。

しかし日本がその地位の頂点に達したと思われる今まさに,世界政治の枠組みは東欧情勢を引き金としたヤルタ体制の崩壊で,戦後最大の不安定な時代に突入しつつある。日本経済は繁栄し,日常生活は数々の問題にもかかわらず安定の極みにあるように見えるが,東西関係の枠がゆるみ,「西側の団結」という言葉が以前の求心力を失いかねない現在,日本はこれまでの甘えを捨てて世界への貢献を量的にも質的にも高めねば,次第に孤立して繁栄を失う可能性すらあろう。もしかすると,経済力のみによって大国の地位を誇れた希有な時代は過ぎ去りつつあるのかもしれない。

ヤルタ体制崩壊のメカニズム
今の事態は一言で言えば,ソ連の力の低下が東欧に一種の「力の空白」状態をもたらし,その中で戦前の西欧文明がその強い吸引力をもってたちまちのうちに蘇ってきたということである。

EC統合による西欧の活力増大,社会主義経済の停滞,ペレストロイカの影響による自由化要求の増大を前に,東欧各国指導者達は数年前から途方にくれるようになっていたが,ゴルバチョフはペレストロイカの促進剤として,東欧の自由化を是認した。彼はまた,「イコール・パートナーとしてのソ連・東欧関係」のスローガンの下,恐怖ではなく信頼に基づく関係を築こうともしたのである。

しかしソ連に恐怖を感じなくなった東欧諸国民は,野放図な自由化に走り,ソ連を忘れた。彼らは統一ドイツへの恐怖感は根強く持っているものの,それより西欧文明への回帰の念でいっぱいである。自ら経済困難に悩み,東欧と共に欧州復興開発銀行の門前に並ぶソ連が,これら東欧諸国を経済的に助ける能力のないこと,いや石油供給を削減さえせざるを得ないことに目をつけた西側プレスは,「ソ連は手に余る東欧を投げ捨てた」とさえ評している。

今回の東欧情勢の展開が日本人にとって予想外だったのは,一般にヨーロッパというものを決して心からは理解していないことが一つの原因である。戦後日本においては,東欧はあくまでソ連の「衛星国」とみなされ,敵視し無視すべき存在としてしか考えられなかった。日本人の多くは世界を米ソ陣営いずれかに割り切り,もともとは自由と民主主義の西欧文明の伝統に属したいくつかの東欧諸国が,ソ連に対する自己主張を強め,次第に独自のプレイヤーとしての地位を欧州政治中に占めてきたことに気がつかなかった。

ものごとを黒か白かで単純に割り切ってしまい,芽としてあるものはたとえ今は灰色でも将来のために育てよう,という複眼思考にはなはだ弱い日本人の性急さ,そして戦後の世界体制の不変性へのナイーブな過信(そこには米国への過度の依存心理も隠されている)とパワー・ポリティクスへの未経験が,こうした認識の遅れの背景にある。むかし平沼内閣は,「欧州の情勢は奇々怪々なり」として政権をなげだしたが,その体質は今の日本にも残っているのだ。

ソ連の東欧支配,ドイツ分裂を基礎とするいわゆる「ヤルタ体制」は,崩壊しつつある。その中で最大の問題として浮かびあがってきたのは,ドイツ再統一問題だ。なぜこの問題だけが,他の東欧諸国情勢に抜きんでて騒がれるのか。理由は簡単,戦後の欧州政治・軍事・経済秩序は,ドイツ分裂を基礎に形成されているので,再統一はその秩序の足場をつきくずし欧州情勢を非常に流動化させるばかりか,後で述べるようにEC統合の勢いを殺ぐ,在欧米軍撤退をいつかはもたらし米国の国際的地位を大きく低下させて多極化時代の到来を決定づけるなど,世界全体に大きな影響を及ぼすからだ。

危機下のソ連

では欧州情勢はこれからどう展開するか。そして国際情勢はそれによってどんな影響を受けるのか。まずソ連だが,この国は目下危機的状況にあり,それから逃れることはゴルバチョフ政権が存続しようがしまいが,,いずれにせよ難しい。ゴルバチョフが今やっていることは,ペレストロイカによって「パンドラの箱」から飛び出した数々の害悪,すなわち経済混乱,民族問題等々に「対症療法」を加えることだけだ。当面の問題を片づけるに手いっぱいで,それを将来の抜本的な改革につなげる余裕などない,一種の「危機管理」なのである。

保守派との闘争はますます露になり,エリツィン等急進左派も人民の不満をたくみにあおっては勢力を拡大する。経済面の自由化でこれまでに実施されたのは,企業の利潤の自己留保部分の拡大だけと言ってよく,生産計画の大枠,資材・機器の配分,価格設定は依然中央によってコントロールされたままだ。これでは競争は生まれず,製品の質は上がらない。利幅の薄い石鹸などの日用品の生産は,企業によって忌避されている有り様だ。

九一年からの第一三次五ヵ年計画は,本格的改革を九四年からに棚上げし,その間消費財の大増産によってペレストロイカへの国民の支持を盛り返そうとしているが,競争のないところで消費財生産にいくらカネを注いだところで,国民の需要に合ったものはできず,無駄使いに終わるであろう。しかもその間投資にカネが回らず,ただでさえ生産設備老朽化の問題を抱えるソ連経済に,決定的な打撃を与える可能性さえある。

これにますます激しくなる気配のある民族問題を考え合わせれば,ソ連の当面のゆきさきは暗い,と言わざるを得まい。経済混乱と民族騒乱があいともなって,中央のコントロールは地方に及ばず社会の諸勢力は流血の構想を続けた,革命直後のような混乱状態を現出させる可能性さえあると,一部で指摘されている。モスクワで最近,知識人達が多少自暴自棄の気持ちもこめて口にするのは,「このままでは内戦になる」という言葉である。

こうしたソ連の不安定化はどんな影響を世界に与えるか。まずゴルバチョフ政権が退場し保守政権が登場した場合,軍備交渉は停滞,米ソ対立は再発して,自力だけではソ連の軍事力に対抗し得ない欧州の国際的地位を再び下落させるだろう。これゆえにこそ西欧各国世論は,ゴルバチョフの失脚を極度に恐れ,ひどい者になれば,「日本の北方領土要求はゴルバチョフの足を引っ張るので棚上げし,経済援助で彼を助けろ」とまで露骨に言ってくるのである。

なお急進左派が政権を取った場合にも,そのデマゴーグ的性格と国内基盤の弱さに鑑み,どんな政策を取ってくるかが予測できず,国際情勢はむしろ不安定化しよう。

民族騒乱がソ連の周辺諸国との間に紛争をもたらし,世界情勢を不安定化させるシナリオも考えておかねばならない。ソ連軍がアゼルバイジャンに投入された今年初め,トルコ政府は同胞アゼルバイジャン人を支援せよとの世論に押されて,ソ連非難声明を出すところまでいったのである。

こうした見通しに立ってみれば,「ソ連の過度の不安定化は世界全体にとって危険。従って西側はソ連を支援せねばならない」との危機管理的発想が,これから西側の中に大きくなってくるかもしれず,北方領土返還,政経不可分政策を貫く日本としては,自分の立場をいまから他の西側諸国に納得のいく形で説明していかねばならないだろう。

東欧 発展か長期不安定か

東欧はどうなるか。ドイツ再統一問題の強烈なパンチの前に,他の東欧諸国はややかすんでしまった感がある。現在の東欧は第一次大戦前オスマン・トルコ帝国崩壊の際,そして第二次大戦前オーストリア・ハンガリ 帝国崩壊の際と同様,一種の力の真空状態にあるが,これら二つの場合と違って周囲に領土拡張野心を抱く大国のいないことが,現在の東欧情勢(東独を除く)の起爆力を弱いものにしている。もしかすれば東欧情勢は,ドイツ再統一問題の引き金としての配役しか与えられていないのかもしれない。

これらの諸国では民主化が小党乱立をもたらし,経済改革が経済混乱をもたらすことによる,政治・経済両面の混乱が続いても,世界情勢全体にさしたる危険を及ぼさないかもしれない。市場経済への道はけわしい。インフレ,失業という副作用をともなう経済改革は,急速な実施がむずかしい。

現在ポーランドでは,社会主義経済から市場経済への改革のモデル・ケースが進行中だ。数々の補助金が廃止され,体質の弱い企業は淘汰されている。こうすれば国際経済への参加と,競争経済創出への基礎が整うのだが,問題はポーランド国民がこうした措置の生み出すインフレ,大量失業といった負担にどこまで耐えられるかである。いつかはストライキの波が,今や野党になり果てた共産党の赤旗の下,起こるようになっても不思議であるまい。

もともと欧州には,経済成長を犠牲にしても人間的な生活を優先するとの考え方が,昔から強い。ドイツのワンダーフォーゲル運動,今や欧州全体に広がった緑の党などはその典型だ。こうした考え方は,戦後四〇年社会主義政権下にあった東欧では,なお強かろう。経済全体のパイを大きくすることなしに人間的な生活はありえないのだが,東欧諸国民にどこまでこの点がわかってもらえるだろうか。チェコ,ハンガリー,ポーランドは,ドイツ,オーストリアなどからの投資で,かなりの発展を示す可能性もあろうが,手放しの楽観は禁物である。

流動化する欧州情勢

こうした事態は資本主義の社会主義に対する完全な勝利のように思える。しかしソ連の力の低下とドイツ再統一の動きは,戦後の世界の枠組みを根底から揺るがせ,従来「西側」と言われてきた諸国間の国益の対立を表面化させる可能性がある。

こうした事態は西欧でもっとも顕著になっている。ここでは戦後の数々の枠組みが,試練にさらされつつある。一つはNATOである。NATOは二つの面で存続の危機に立っている。一つにはソ連軍の削減そして東欧からの撤退が,西欧への奇襲能力を大幅に低下させつつあることから,西欧諸国の中でNATO不要論が高まってくる可能性がある。

既に相手方のワルシャワ条約機構は,ソ連軍の東欧撤退によりその実体を失いつつあり,現在ウィーンで進められている欧州通常兵力削減交渉の第一段階が秋に決着するのも待てずに崩壊してしまうのではないか,という観測さえ広まっている。最近ではソ連軍の東欧撤退,在欧米軍の縮小傾向など,実際の動きの方が,交渉の内容より先へ行ってしまう傾向さえ見えてきた。

第二には,統一されたドイツがNATOに止まるかどうか,止まることをソ連が是認するかどうか,そして米国を含めたNATO諸国の軍が統一ドイツに残れるかどうか,がまだ不透明なことである。

まず統一されたドイツがNATOに止まらず,「中立化」した場合,欧州情勢はむしろかえって不安定化する危険性が指摘されている。なぜなら,NATO,ワルシャワ条約機構の対峙が曲がりなりにも力のバランスによる安定を作り出していたのに対し,中立ドイツは西欧とソ連の間でふらふら揺れて,そのたびに東西間の力のバランスを不安定なものにしかねないからだ。だからといって統一ドイツ全体を非武装化することは,ドイツ自身が受け入れないだろうし,NATOの中心的存在であった西独軍の消滅は,ソ連に対する西欧の防備を決定的に不利なものとするので,西側の望むところでもない。

いずれにせよ万一統一ドイツがNATOを出る場合には,NATOはその主柱を失うし,在欧米軍も居所を失ってNATOは崩壊するだろう。またたとえドイツがNATOに残ろうとも,もし在独米軍,NATO諸国軍がこれから撤退させられるようなことになれば,NATOは同じく崩壊するだろう。なぜなら西独を出た米軍は,フランスに駐留するわけにもいかず,結局居所を失って欧州から撤退せざるを得まいし,その他のNATO諸国軍も自分の領土に引き上げるか,あるいは統一ドイツ国境周辺に配備され,ソ連よりむしろ統一ドイツに対する守りを固める性格を持たされるだろうからだ。

欧州における米軍は,これまでのソ連に対する備えとしてのものから,次第に欧州安定維持の番人的性格を強めている。ソ連にしてみても,先の読めない無秩序よりは,在独米軍維持により将来のドイツの行動にタガをはめておきたいとの思惑が最近ではほの見える。統一して意気を高めるドイツ人が,このような米軍の存在をいつまで自分の国内に認めるかどうか,そしてアメリカ人がこのような善意の番人的役割にいつまで甘んじるかどうか,にNATOの今後は大きくかかってくる。

経済面においても,ほぼ死に体と化したコメコンは言うに及ばず,日本ではまだ九二年,九二年と騒いでいるEC統合にも,暗雲が見えてきた。産業界の側においては,統合を求める気持ちに変わりないとしても,ドイツ再統一をきっかけに頭をもたげ出した欧州各国のナショナリズム,相互警戒と昔からの憎悪がEC統合の政治的モメンタムを失わせかねない。既にフランスにおいては,EC統合への悲観論が台頭してきた。

これまでフランスとともに統合の機関車的役割を果たしてきた西独も,分裂時代のように国家としてのアイデンティティを欠き,EC統合のみに精神的活路を見出していた時代とは異なり,ドイツ再統一という夢が現実となって,それに当面没頭せざるを得なくなっている。両ドイツ間の通貨統合はマルクの価値を不安定にすることによって,EC政治統合への重要な一歩となるEC通貨同盟創設をおそらく永久に流産させかねない。

結局世紀の野心的試みと見えたEC統合は,九二年の諸規制統合・緩和でさえ,係争点の多いものについては実施できずに,中途半端に終わる可能性さえ出てきたと言えよう。フランス人のEC大統領が英国を統治したり,ドイツ人のEC大統領がフランスを統治したりするような夢物語の政治統合はとても叶わぬものとしても,通貨同盟の実現さえむずかしく,やっとどうやら自由貿易地帯を東欧,EFTA諸国にで及ぼし,緩い大欧州経済圏を作る,これが将来の欧州の経済地図ではあるまいか。

こうして欧州の情勢は流動的傾向を強めており,ナショナリズムが次第に高まる徴候も見られる。従って欧州はこれからも経済的には単一性を強めようが,政治的・軍事的には一九世紀のようなドイツ対英仏露同盟という図式が成立しかねない,などと言う人間も最近のヨ ロッパには出てきた。さらには統一ドイツ核武装の可能性も,マス・メディアの口には上っている。在西独米軍が数千もの核兵器を貯蔵していることを考えてみれば,満更不可能な話しではない。

こうして欧州における既存の枠組みが揺れている中で,CSCE,欧州評議会など,これまではNATO,ワルシャワ条約機構に比べれば地味であった組織を,協力推進,紛争処理の場として,もっと強化しようとの動きが今出ている。

しかし,「先は読めない」というのが,欧州にいる誰もが今日このごろ口にする言葉である。EC統合への期待と自信がみなぎっていた,一頃前のヨーロッパはもはやない。

日本は変化の90年代への対応を

ヨーロッパでは,「日米欧三極などというが,将来の世界で日本の嵌まる位置がどうしてもわからない」と言うものがいる。その意味するところは,対ソ対立の薄れた中で,異質な(と彼らは考える)日本はもう欧米の仲間でないのでないか,ということである。相互依存の高まった現代の世界において,日本を排除することは不可能であるが,未だに国際世論を形作っているのは欧米の知的サークルであることに鑑みれば,右のような考えを持たせないようにするためにも,開発途上諸国の経済発展,環境問題,人口問題,水資源問題等,これからの世界の諸問題解決に日本の貢献は不可欠であることをアピールしていかねばなるまい。対東欧支援もその一環である。ただしこの場合,自らイニシアティブを示すことが必要である。さもなければ日本は,ただ人に言われてカネを出す金持ちの役に堕してしまい,尊敬されないばかりか,際限なくカネをむしり取られることになりかねない。欧州にいて歯痒いのは,ドイツ再統一を含め現在の東西関係の変化が日本に及ぼす影響につき,国内で十分な関心が払われていないように見えることである。東西関係の弛緩はアジアの米軍の一部撤退の動きを早くももたらしたし,在独米軍の削減や撤退が行われれば,そうした動きはさらに加速されかねない。

こうしてアジア情勢も動因を高めてきたが,この中で日本は緊密な日米関係を何としてでも守っていく必要がある。日本は米国なしには成り立たないし,また緊密な日米関係はアジア・太平洋地域の安定と繁栄の必須条件でもある。欧米諸国の日本たたきがこれから強まるかもしれないが,日本は「大東亞共栄圏」の昔の夢に逃げ込むべきでないし,またそれは不可能だ。孤立した日本はアジア諸国からも受け入れられないだろう。

九〇年代は,戦後最大の不安定期となろう。安定期には抜群の成績をしめした日本の諸システムも,不安定期には足かせとなりかねない。活力はあっても視野の狭さを免れない縦割りの行政構造,時間がかかり大きな理念を欠きがちなボトム・アップの政策決定過程を,縦割り組織を横断するハイ・レベルの政策決定フォーラムを各所に作ることで,補強していく必要もあろう。今ほど,政策決定に当たる者の団結と勇気が要求されている時はない。

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