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    <title>Japan and World Trends [日本語]</title>
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    <updated>2010-02-21T14:48:43Z</updated>
    <subtitle>日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。</subtitle>
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    <title>国債は、利子つきの回転税金だと思えば？</title>
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    <published>2010-02-21T14:39:12Z</published>
    <updated>2010-02-21T14:48:43Z</updated>
    
    <summary>ちょっと時間がないので、今考えていることをざっと書いておくと、みんな「国債は子孫...</summary>
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        <category term="経済" />
    
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        ちょっと時間がないので、今考えていることをざっと書いておくと、みんな「国債は子孫に借金を残すことになる」とか言って、バイキンマンのように汚らわしいことだと言っているが、本当にそうなのか？
国債は数年で返金されるではないか。みんな増税が嫌だから、政府は歳入が不足する。そこで政府は、国民が溜めこんだ金を銀行を通じて利子つきで数年借りて運用し、また返済する。

そこで景気が良くなって税収が増えれば、これは国民が政府の事業に融資をしたようなことになる。つまり政府の民営化のようなものであり、「税金に代わるものとしての国債」ということだ。

ギリシャなどで問題になっている債務問題と違って、日本の場合は国内だけで資金がぐるぐる回る。まだ回せるのでないか？　早すぎる増税論は景気を冷やす。

        
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    <title>核「密約」の先はどうなっているのか？</title>
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    <published>2010-02-21T14:22:25Z</published>
    <updated>2010-02-21T14:38:15Z</updated>
    
    <summary>今日本で問題になっているのは、1970年代初め沖縄の施政権が日本に返還された後も...</summary>
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        <category term="ヨーロッパ" />
    
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        <category term="外交" />
    
        <category term="政治" />
    
        <category term="街角での雑想" />
    
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        今日本で問題になっているのは、1970年代初め沖縄の施政権が日本に返還された後も米軍が沖縄基地に核兵器を持ち込むことを、日本政府が暗黙のうちに認めるという、「密約」が日米間にあったかなかったかということである。

日本は「核不拡散条約」に核兵器非保有国として入っているため、「核の傘」を米国に依存している。それなのに米軍が核兵器を日本に持ち込むことを公に認めていないのは、日本が唯一の被爆国だからだろう。だがソ連の圧倒的な通常兵力に脅かされていた欧州では、ドイツ、ベルギーなど核兵器非保有国に米軍の戦術核兵器がいくつも配備されている。

で問題は、「密約」があったとして、そのことを今の政府が公表したあと、どうするつもりなのか、ということだ。米軍の核兵器持ち込みをこれからは大っぴらに認めることとし、非核三原則を修正するのか、それとも米軍の核兵器持ち込みは一切認めず、核の傘は米軍の潜水艦積載の核ミサイルに全面依存するのか、そんなことで日本は核兵器面での抑止力を十分確保できるのか、ということである。この点が今、全然議論されていないのは奇異なことだ。

日本に届くミサイルを持っているのは、北朝鮮だけではない。中国の保有する核ミサイルについては十分な情報がないが、北朝鮮をはるかに上回る能力を持ち、日本に届き得る中距離ミサイルをいくつも持っているのは確実である。中国とは友愛、友愛で大いに友好関係を進めるべきだ。他方、抑止力も整備しておかないと、お人好し外交と言われるようになるだろう。
1980年代初期、西ドイツのシュミット首相は、アフガニスタンに侵攻したソ連とのよりを取り戻すべく努力しながら、他方ではソ連の中距離ミサイル配備に対抗して米国の中距離ミサイルを欧州に配備してもらうべく奔走していたのだ。




        
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    <title>この頃の日本の学生、ソ連人のようーーあるロシア人の述懐</title>
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    <published>2010-02-11T16:41:46Z</published>
    <updated>2010-02-11T16:56:46Z</updated>
    
    <summary>この間、もう１０年以上日本の大学で教えているロシア人の友達が言っていた。 「もう...</summary>
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        <category term="社会" />
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.japan-world-trends.com/ja/">
        この間、もう１０年以上日本の大学で教えているロシア人の友達が言っていた。

「もう何年前だったか、ある時モスクワで休みを過ごして帰ってくると、新しい学生たちはこれまでと変わっていた。それまでの学生はロシアのことに関心を持っていろいろ聞いてきたのだが、最近はロシアだけでなく外部のことにとんと関心がない。単位をもらうことだけに執心している。まるでソ連時代の労働者のようだ。」

村落共同体の風情が強く残り、誰でもみんな平等という気分の強い日本は、これまでもソ連に似ていると言われてきた。今度は無気力なところがソ連と似ている、というわけか。この野郎、と思う。だが僕が教えている大学のひとつも、彼の言うとおり。

どこかの年次で、日本人がかなり変わっている。それがゆとり教育のせいなのか、携帯電話が中高生に普及したためなのか。数年前まではインドなどに｢自分探し」に行く学生も多かったのに、今では大学３年から｢職探し」だそうで、そうするとやはり最近の不況が学生をクソ現実的にしているのかもしれない。

あれこれ考えているうちに、｢近頃の若者はなぜダメなのか」原田曜平(光文社新書）という本にぶちあたって、目からうろこの落ちる思いをした。携帯の中高生への普及が、かつての村社会をヴァーチュアルに再現し始めた、というのである。
でもこの本のこと、また別の機会に。
        
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    <title>中央アジア情勢(０９年１１月周辺）</title>
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    <published>2010-02-11T16:32:15Z</published>
    <updated>2010-02-11T16:33:49Z</updated>
    
    <summary>１１月周辺の中央アジア情勢を簡単にまとめてみた。情報の出所は特に断りがない限り、...</summary>
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        １１月周辺の中央アジア情勢を簡単にまとめてみた。情報の出所は特に断りがない限り、インターネットで入手したロシア語、英語の記事である。

１．１１月の概観
（１）中央アジアの天然ガスをめぐる景色に変化――中国の本格参入、トルクメニスタンの立場の低下、ウズベキスタンからの対露天然ガス輸出がトルクメニスタンを上回る構え
（イ）１１月は、中央アジアでは大きな動きが少なかった。しかし１２月になると、トルクメニスタンから中国への天然ガス・パイプラインが開通したし、４月以来停止していたロシアへの天然ガス輸出も再開の運びとなった。但し、欧州での天然ガス需要が減少したことを受けて、２０１０年ロシアの輸入量は０９年契約量の約半分に減少、価格も２００８年契約価格の半分近く、千立米当たり２００ドル以下に下落する。
（ロ）これらを総合すると、一連の変化はトルクメニスタン政府にとって不利に作用したのではないかと思われる。「ロシアが中国に中央アジアの天然ガスを取られた」式の見方が横行しているが、世界全体で天然ガス市況が緩んでいる中で（米国における天然ガス生産が急増していることが主因）、ロシアの地位はもともと低下しつつあるのであり、トルクメニスタンとの関係においてはこれまで割高で引き取ってでも欧州への独占的ガス供給者の地位を維持しようとしてきた政策を止め、損失を限定しようとしたものと言えよう。結局は、欧州への直接の搬出路を持たないトルクメニスタンがいちばん割を食い、ロシア、中国双方に対するバーゲニング・パワーを大きく低下させたのである。
（ハ）そしてこれまではせいぜい自給に向けられていたウズベキスタンの石油・天然ガスの生産が増えて、来年あたりは対露輸出量でトルクメニスタンを凌ぐ勢いになった。ウズベキスタンは、ロシア資本も大々的に入れてこの数年、エネルギー資源の新規開発に励んできたのである。
（ニ）こうして、天然ガスをめぐる中央アジアとロシアの関係に、大きな変化が起ころうとしている。報道によれば（Stoletie.ru, Shustov）、ガスプロムは２０１０年、中央アジアからの天然ガス輸入を半減させることを画策している。２００８年には中央アジアから６６１億立米輸入したのを、２００９～１１年には３３０～３４０億立米、２０１２年には３７９億立米程度で収めようというのである。２０１０年、トルクメニスタンからは、２００７～０８年平均の４分の１にしかならない１０５億立米の輸入のみでとどめる（注：ロシアは最大３００億立米を輸入することをトルクメニスタンに約束したが、この「最大」にトリックが隠れているのかもしれない）。他方ロシアは、ウズベキスタンから２０１２年に１４５億立米の輸入を予定しているので、トルクメニスタンからの輸入を超えることになる。

（２）ウズベキスタン、「中央アジア電力網」から離脱
　（イ）１２月１日には、ウズベキスタンが中央アジア電力網から離脱した。ソ連時代から存在するこの電力網を使って、中央アジア５カ国はピーク時の電力の相互融通などを行っていたのだが、実際には電力不足に悩むタジキスタン、キルギスが無通告で消費を急増させ、隣国で停電を起こすなどの例が絶えなかったことが、ウズベキスタン離脱の背景にある。
今回ウズベキスタンの措置も、11月９日タジキスタンのヌレク水力発電所で事故が起き、中央アジア電力網からの取電を急増させたため、ウズベクからの送電を止めざるを得なくなったことがきっかけとなったようだ。トルクメニスタンは２００３年既に離脱しているそうだし、カザフスタンも離脱を検討しているようだ。
　（ロ）タジクはこれまで、南部で水力発電した電力をウズベク領経由で北部の工業地帯に送っていた。今、国内を直接送電できるよう、中国が送電線を建設中である。
（ハ）ウズベキスタン、カザフスタンが電力網から抜けると、キルギス、タジキスタン両国が電力不足に陥る。これを救うためには、世銀、ＡＤＢが提唱する、中央アジア・南アジア千メガワット構想（CASA）（キルギス、タジクの両国は水力資源が豊かなので、両国における水力発電を強化して、アフガニスタン、パキスタンにもその電力を輸出する）が有効だが、キルギス、タジクの両国におけるダム建設には、灌漑水を必要とする下流の農業国ウズベキスタン、カザフスタンが抵抗している。
日本は、中央アジアの団結を高めるようなインフラ案件にＯＤＡを出すことをその政策としているが、このように中央アジア諸国間に遠心力が作用している間はいろいろ難しい。

（３）中央アジアにおけるインターネット人口
中央アジアでももちろん、インターネットは使える。筆者がウズベキスタンに在勤していた頃は、回線が超のろくて閉口したし、ニュース・サイトはよく閉鎖の憂き目にあっていた。ソ連時代の頭でいる当局者にしてみれば、国民が情報に自由にアクセスできることなど、「とても考えられない」ことだったのだろう。でも今は、Ｅメールで自由にやり取りができる。
Vesti.uzというサイトがInternet World Statisticsを引用して報ずるところによると、中央アジアにおけるインターネット利用人口が500万人を超えた由。そのうちウズベクが247万人、カザフが230万人、キルギスが85万人、タジクが60万人、トルクメンが7.5万人で、普及度ではキルギス15.6％、カザフ14.9％、ウズベク8.9％となるのだそうだ。ちなみに、ロシアは4500万人強、32％の数字だそうで、実感と合う。ロシアではＳＮＳ、YouTube、ブログをはじめ、一般市民レベルでのインターネット感覚は日本と同じ、あるいはもっと進んでいる。

（４）死んだのか生きているのか、テロリストのユルダーシェフ
前月のメモでも書いたが、「ウズベキスタン・イスラム解放戦線」（ＩＭＵ）の指導者ユルダーシェフはパキスタンで最近政府軍に殺されたはずなのだが、ＩＭＵのスポークスマンはそれを否定したし、１１月末にはユルダーシェフの演説録音がカタールのマスコミにＥメールで届いたのだそうだ。そんなことすると、どこのコンピューターから送ったかすぐ足がつくが。ヤクザの跡目相続と同じで、親分にやたら死なれてもらっては困るものらしい。

（５）上海協力機構事務局長交代
２０１０年１月には上海協力機構の事務局（上海という名がついているのに、事務局はなぜか北京にある）長が代わる。任期通りの交代である。これまでの事務局長は前在京カザフスタン大使のボラット・ヌルガリエフ氏で日本も話をしやすかったが、新任の事務局長はキルギスの元外相Muratbek Imanaliev氏。
彼は１９５６年フルンゼ生まれで、モスクワ大学のアジア・アフリカ学科を中国語専攻で卒業した。キルギスの「アメリカ大学」で教授を務めたこともあり、英語ができる模様。９３～９６年には在中国大使、１９９６～９７年には大統領府国際部長、１９９１～９２年及び１９９７～０２年には外相、２００９年１～１０月には大統領補佐官を務めており、経歴に不足はない。

（６）集団安全保障条約機構（CSTO）をめぐる動き（１０月メモの追補）
（イ）１０月２日から１６日にかけカザフスタンで行われたＣＳＴＯの「即応展開軍」演習には、アルメニアが105人、キルギスが86人、タジクが３人、ベラルーシが２名（オブザーバー）、ロシア、カザフが1500人づつの兵員を参加させた。
　ウズベキスタンのカリモフ大統領は６月のＣＳＴＯ首脳会議で、「即応展開軍は外部からの脅威に対してのみ用いることとするべし。即応展開軍のうち外国の兵力は、自国には常駐しないこととするべし」との条件を付するよう求めたが容れられず、結局即応展開軍創設意図文書には署名するも、右軍自体には加わらないこととした。筋が取っている。
（ロ）CSTOは相変わらずNATOと同じ背丈に背伸びしたがって、「痲薬取り締まり等の問題での協力をNATOに申し入れた」（ボルジュジャ事務局長）。だがＮＡＴＯはＣＳＴＯを無視する姿勢を改めておらず、ボルジュジャ事務局長によれば「返事がない。こちらももうせっつくのはやめた」ということの由。

（７）ロシア・ベラルーシ・カザフスタン関税同盟発足へ（２０１０年１月）
　これまで延々と準備が進んできたロシア・ベラルーシ・カザフスタン関税同盟が、２０１０年１月にスタートする運びとなった。２０１１年央からは３国間の税関を撤去する。こうした国々は関税同盟のようなものを華々しくスタートさせても、裏口、例外、腐敗とあらゆるものがよってたかって合意をあってなきがごときのものにしがちである。だから筆者もこの関税同盟をこれまで真剣には調べてこなかった。加盟国のマスコミでも今やっと同盟発足のプラス・マイナスについての議論が始まったところだ。
ロシアにとっては昔のソ連を一部だけでもまた寄せ集めたことになり、その点プラスなのだろうが、ベラルーシ、カザフスタンにとってのメリットは何なのだろう？　ロシアの港に入荷するカザフスタン向け物資は、ロシアの税関が関税徴収を代行するのだろうが、そのカネは果たしてちゃんと徴収され、ちゃんとカザフ側へ送金されるのだろうか？
　そして報道によれば、統一関税率の９２％はロシアの関税率を採用したもので、カザフのより高いのだそうだ。このためカザフ人は、高くなる外国製品よりロシア製品を好むようになるという仕掛けなのだそうだ。例えば自動車について言えば、カザフはこれまで１０％の輸入関税しか課していないが、ロシアは３０～３５％をかけている。

（８）「ＮＩＳ清算銀行」発足？
ソ連の時代、東欧、モンゴル諸国は「コメコン」というぱっとしない経済組織にからめとられていた。口の悪い者は「不用品交換組織」などと呼んでいたのだが、このコメコンには「清算銀行」というのがあった。ＥＣＵのような計算単位「振替ルーブル」で、各国の間の貿易勘定を清算していたのである。
報道を見ていたら、１５年前、ＮＩＳにもこの清算銀行に似たNIS Interstate Bankが作られたのだそうだ。だがここは域内決済の１．５％しか扱っていない（０８年２２０億ルーブル）。しかもドルを仲介して、決済をしているそうだ。
従ってＮＩＳ諸国間の決済のほとんどは現在、西側の銀行を通じてドルかユーロの仲介で、１～２日かかって行われている。手数料は西側に落ちてしまう。
だから、NIS Interstate Bankを強化し、加盟国の通貨で直接決済ができるようにしたい、という声があるが、夢物語に過ぎない。

２．ウズベキスタン
（１）――ＥＵは、アフガニスタン治安強化のために対ウズベキスタン制裁を解除？
１０月２７日にＥＵがウズベキスタンへの制裁を解除し、兵器を供与できるようにしたことは、１０月情勢のメモに既に書いたが、なぜ兵器の供与が可能になったのかの意味について一つの憶測が出ている。それは、アフガニスタン北部にタリバンが浸透しないようウズベキスタンに戦わせるための兵器だ、いや、アフガニスタン北部に多数居住するウズベク族住民が自衛するための兵器だ、等々。そして、ドイツはアフガン北部のクンドゥースに軍を駐留させているので、その安全強化のためにも、ＥＵの先頭に立って今回の制裁解除を実現した、というのだ。
　あり得ないことではないが、ドイツはこれまでもＥＵの中では一貫して中央アジアでは最も積極的だった。１８世紀のロシア帝国、エカテリーナ大帝時代、彼女の故郷ドイツ方面からロシアのヴォルガ河沿岸に多数の農民が入植したのが、スターリンによって中央アジアに放逐され、ソ連崩壊後ドイツ本国に大量に帰還した。従ってＥＵ諸国の中でドイツは最も根を張った人脈を中央アジアに有しているし、９月１１日事件以降はウズベクのテルメス空港をクンドゥースへの物資補給中継基地として、軍人を駐留させているのである。

（２）ロシアは、ウズベクでの西側の動きに警戒的
　こうした欧米日の動きに、ロシアの一部は警戒の念を表明している。１１月１１日、ロシアの独立新聞はVictoria Panfilovaの論文を掲載,「EU、米、日はウズベクとの関係を再び強化することによって、ロシアに忠実でない第２の政治力センター（第１はカザフスタン）を中央アジアに作ろうとしている」と論じた。
ロシア戦略研究所のクルトフは、「ウズベクは、選択肢を増やしている。同国は、アンガルスクでロシアとカザフが計画しているウラン加工プラント建設プロジェクトに加わらないことを決めたが、ウランの件では日本をパートナーに選んだのだろう」とコメントしている。
日本の中央アジア政策は、日本国内でより、ロシア国内でよほど注目されているようだ。

３．カザフスタン
（１）対外借り入れ再開の構え
石油輸出のおかげでこの１０年、ＧＤＰを６倍（１９９８年２２１億ドル、０８年１２９８億ドル）にしたカザフスタンは、ロシア経済の風見鶏のような性格を持っている。ロシア経済の変化は、カザフスタンでまずその先ぶれがあることが多い。
シベリアに隣接するカザフスタン北部は工業地帯であるが（インド人のミッタルもカラガンダの製鉄所を所有している）、その技術基盤はソ連時代からのものである。従ってカザフスタンは、製造業が弱体な中でエネルギー資源輸出に過度の依存をしている面で、ロシア経済と酷似しているのである。
実際、サブプライム危機の余波がロシアに及んだのは０８年９月だったが、カザフスタンはその１年前から欧州での起債、借り入れに困難をきたしていたのである。そのため、銀行はこれまでの借り入れ返済ができなくなっただけでなく、国内の消費・建設・不動産にカネを回せなくなったため、カザフ経済は０７年秋には一気にしぼんでしまったのである。
だが原油価格が回復してきたのを背景に、カザフスタン政府は対外借り入れ再開の旗を振り始めた（「新世代」誌）。今回は、その点でロシアと時期を同じくしている。まず政府が５億ドルくらい借りて、民間へのベンチマークを設定するのだそうだ。現在民間銀行の対外債務は、破綻したBTA銀行、Alliance銀行を除外しても310億ドル以上あるそうで、道は遠い。
政府はイスラム債スクークの発行も検討し、民間がこれに続くように期待している。マレーシアなどが、中央アジアでも重みを持ってくるだろう（既にウズベキスタンなどで直接投資を行っている）。
なおカザフスタン政府は、国民には国債MAOKAMを売り出しているのだそうだ。

（２）カザフスタンの石油
「Ｅｘｐｅｒｔ　Ｋａｚａｋｈｓｔａｎ」誌第４５号に掲載されたＳ．スミルノフ論文によると、石油ガス部門（注：不正確な定義だが）はカザフスタンのＧＤＰの２１％、輸出では６４％を稼いでいるのだそうだ（９８年にはそれぞれ、１０％と３２％だった）。石油生産量が増えた上に、輸出価格が天井知らずだったのだから、ＧＤＰが１０年間で６倍になって不思議はない。
カザフスタンの石油部門についてはウィンブルドン現象が指摘され、これまで欧米系の企業に抑えられてきたが、最近数年、国営のカズムナイガス等が石油企業の株取得に努めている。また中国の石油・ガス企業がカザフスタンのエネルギー企業の株取得を強めていることも、最近の特徴である。カザフスタンの原油は主として黒海方面に積み出されるため、日本への輸入には向いておらず、JOGMEGがカシャガン油田開発に参加している程度である。

（３）その他の話題
　ナザルバエフ大統領は艶福家で正妻Saraの他に知っている女性が多数いる、という報道があった。タイガー・ウッズが自分から注意をそらすために流したガセネタか？　でも旧約聖書とコーランの双方で始祖扱いされているアブラハムも、正妻Saraの他に何人も面倒を見ていたというから問題はあるまい。
　別の話だが、ロシアでメドベジェフ大統領の下、組織犯罪対策が強化されているため、カザフスタン当局はロシアから暴力団の本部が移転してくることを心配し始めたそうだ。実際に、彼らの入国が増えているのだそうで。

４．キルギス
（１）内政
１１月には議会解散のうわさが出たが、何事もなかった。
他方、バキーエフ大統領の同族支配が強まっている。同時に反政府の人物が暗殺等危害を受ける例が増えているため、１２月には米国議会で非難の声が高まった。
バキーエフ大統領の弟Zhanyshと息子の一人Maratは、キルギスの秘密警察を握っている。もう１人の息子マクシムは国内の企業活動、投資を全てコントロール下に置けるポストについた。アカーエフ前大統領の場合も、同じようなプロセスから、利権争いが発生し、誰もアカーエフ本人を助けなくなって崩壊した由。

（２）ロシア、カザフからの送金（出稼ぎ者からの）減少
第１次産業、第２次産業ともに弱いキルギスでは、ロシア、カザフスタンへの出稼ぎ者から送ってくる金は、ＧＤＰ（２００８年で５０億ドル、ＩＭＦ）の半分近くに相当する重要なものである。だがロシア、カザフ両国とも経済困難にあるため、０９年１～９月の送金額は約13億ドルで（当局が把握した部分のみ）、昨年同期より47％減少している。

５．タジキスタン
（１）９０年代タジク内乱解決は、アフガニスタンの参考になる？
Foreign Affairs誌１１月号は、テキサス大学のジョージ・ガブリリスの「アフガン解決の見本はタジクだ」とする論文を掲載した。
タジキスタンはソ連崩壊後の利権争いが原因で全国を巻き込む内乱となったのだが（それを鎮めるための国連監視団に加わった秋野豊政務官が殺されている）、内乱疲れが見えてきた頃３年間、イラン、ロシア、ウズベクを中心とした交渉が８回も行われ、反乱側にも政府での要職を与えることで停戦が成立した。地方有力者達はソ連時代にも地元の利権を差配し、内乱時代には野戦司令官になっていたのだが、彼らにも公職が与えられた。アフガンへ逃げた6千名の過激派は、タジクに駐留するロシアの第２０１師団と国境警備隊が防いだ。
確かに全体の方向としては、タジキスタンの内乱収拾は現在のアフガニスタンに参考になる。但し、アフガニスタンの場合、外部のアル・カイーダ勢力の扱いが問題なのであって、９０年代のタジク情勢とは基本的に異なる。またアフガニスタンのパシュトゥン族を政府に入れることで鎮撫しようとする試みは何度も行われてきたが、パシュトゥンは一つにまとまらないので、彼らを相手に交渉することはおそらく不可能に近いという問題がある。

（２）浸透する中国の経済援助
６月の上海協力機構首脳会議で、中国は中央アジアに100億ドルの救済融資を行うことを明らかにしたが、タジキスタン政府はこのうち30億ドル程度でダム等を作ってもらうべく画策中である。11月中旬、ドシャンベでは中国との投資フォーラムが開かれている。報道によれば、融資は中国の６の銀行から与えられており、電力、道路等地域インフラ建設がその重点である。
タジク投資・資産委員会によればタジクへの直接投資額は7.6億ドルだが、うち10％は中国からのもの。０９年１～９月、中国との貿易は対前年比42.9％増え、4.5億ドルに達した（全貿易の17.8％）。
２００５年、中国は中央アジア諸国に９億ドルの輸出信用を供与すると表明したが、タジクはこのうち６億ドルを使い、Lolazor-Hatlon高圧線、南北高圧線、ドシャンベ－ハナク自動車道修理・建設、Shar-Sharトンネル建設を実現した。これらは中国の建設企業、中国人労務者、中国の資材によるもので、中国が外国で公共投資を行っているようなものだ。
２００９年６月、タジクは中国と４の協定に署名し、10億ドル以上で工業、電力、運輸、通信面での案件を手掛けることになった。こうして中国はこの５年で20億ドルの融資をタジクに約束、この面でロシアを抜いた。

（３）ロシア、タジクのウランに再び乗り出す？
ソ連時代、タジキスタンはウラン鉱石の主要な産地だった。第二の都市ホジェント（ソ連時代のレニナバード）にはロシアからの鉄道が入っているが、これはウラン鉱石運搬に使われていた。中央アジア諸国はウランの宝庫と目されるが、地質資料等はソ連時代に集められたまま、地元ではなくモスクワに眠っている。
１１月、ロスアトムはタジクでのウラン新規開発を支援する用意がある旨表明した。新規ウラン鉱床はパミール高原、東部のRasht、西部のヒサル州にあるものと思われているが、近寄りにくく調査もされていない。

６．トルクメニスタン
（１）ロシアへの天然ガス輸出再開――しかしトルクメニスタンの収入激減
４月以来止まっているロシアへの天然ガス輸出の再開は、トルクメニスタンにとって１１月の最大の課題だったろう。１１月２９日、ベルディムハメドフ大統領は訪ロして、モスクワ北の保養地ザビードヴォでメドベジェフ大統領と会談（これは最高度のもてなしを示す）したが、それでも輸出価格について合意に達することはできなかった。ガスプロムのミルレル会長はトルクメニスタンについては匙を投げ、「政府レベルで話し合ってほしい」ということを確か９月に言っている。
トルクメニスタンの首脳にとっては、ガスプロムは独立した会社なのだというような説明は意味を持たず、重要事は相手国の最高首脳と話し合わないとだめだと思いこんでいるのだろう。ソ連時代、中央と地方の間の経済問題は最後は共産党トップの調整に持ち込まれた構図が今でも残っている。
その後１２月２２日、アシハバードを訪問したメドベジェフ大統領は、ベルディムハメドフ大統領と本件についてやっと合意に達した。２０１０年１月にロシアは輸入を再開、年間最大３００億立米を引き取ることとし（ここは表面上、トルクメニスタンへの譲歩）、１月の価格は千立米１９５ドルとする由（インターファックス）。２００９年は５００億立米をロシアに輸出する契約になっており、価格は３００ドル前後と推定されていたから、トルクメニスタンの収入は激減し、もともとロシアへのあて馬として引き込んだ中国に対する依存度が高まってしまう。トルクメニスタンはロシアの足元を見過ぎ、世界における天然ガス需要地図変化の速さに追いつけずに割を食った。

（２）トルクメニスタンの民主化？
欧米諸国はこの数年、トルクメニスタンの天然ガスが欲しいこともあって、「ベルディムハメドフ政権はニヤゾフ前政権に比べて『民主化』を進めている」と囃してきた。だがトルクメニスタンは最近、なぜか外国の私立大学への留学を突如禁じたりして、その体質にあまり変化がないことが露わになりつつある。
それでも、欧米諸国はトルクメニスタンへの批判的姿勢は取るまい。天然ガスが欲しいだけでなく、アフガニスタンでの作戦にはトルクメニスタンの協力も必要だからだ（米国、ＮＡＴＯの軍用機がトルクメニスタンの上空を通過することが多い）。例えば、米国は静かに（トルクメニスタンは永世中立国だから）トルクメニスタンの国境硝所の設備改善を支援しているとの報道があった。対イラン国境方面は2006年、対アフガン国境は07年、対ウズベク国境は０９年に（０９，１０）改修された由。これは、アフガニスタンの麻薬がトルクメニスタンに流入するのを防ぐ意味合いもある。



        
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    <title>ある冬の朝の情景</title>
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    <published>2010-02-11T16:18:34Z</published>
    <updated>2010-02-11T16:27:23Z</updated>
    
    <summary>ただの断片。 これまで月曜日の朝９時から大学で講義という、殺人的なことをやらされ...</summary>
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        ただの断片。
これまで月曜日の朝９時から大学で講義という、殺人的なことをやらされていたのだが、それも終わった１月のある日、大学のある八王子から四谷まで急行でかけつけ、かけそばの一杯を食した駅前の交差点で解放感にふけるひと時。

ーーー四谷、ベルサイユ調の迎賓館前、大通り。ヨーロッパ風。
真っ青に冴えわたる冬の空。宣伝カーが大声で、迎賓館の彼方へと去っていく。
「・・・は、天からキリストをつかわされましたーーー」

ああ、そうですか

        
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    <title>犬も吠える自由を求める</title>
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    <published>2010-01-31T15:55:53Z</published>
    <updated>2010-01-31T16:04:21Z</updated>
    
    <summary>インターネットを読んでいたら、こんなジョークがあって思わずにやり。 ウクライナと...</summary>
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        インターネットを読んでいたら、こんなジョークがあって思わずにやり。
ウクライナというと、旧ソ連の一部でロシアと並んで最重要部だったのだが、独立後の経済は思わしくない。

そこである日、犬がウクライナからロシア領へ移っていったのだそうだ。国境警備兵がなぜだと聞くと犬は、「ウクライナ経済ひどくて、食えないから」と答えた。

それから数週間たって、今度は同じ犬がロシアからウクライナ領へ帰っていくのが目撃された。国境警備兵がなぜだと聞くと犬は、「それでもウクライナなら、吠えてもいいからな」。

（このジョークの意味するところは、ユシェンコ大統領の時代ウクライナは、経済はだめだが、言論の自由だけはある、ということ。なに、ロシア？　まあ、このジョークほどにはひどくないですが。
        
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    <title>１月２８日のファミレスは学生で満員――なぜ？</title>
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    <published>2010-01-31T15:47:51Z</published>
    <updated>2010-01-31T15:53:37Z</updated>
    
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        １月２８日は多摩大学のグローバル・スタディーズ学部で最後の授業をやったのだが（できてまだ３年の新しい学部で、英語で授業をするのが売り物）、湘南台の駅前のGUSTOで昼飯でも食べようと思って入ると、なかは満員。それがどうも、男女の高校生のようなのだ。
不景気だと言われるが、昨年年末の居酒屋は満員だったし、ここは高校生で満員だ。だから結構人は金を使っていて、不景気、不景気という掛け声の方がおかしいのかも。

それにしても、１月２８日は高校生がファミレスでたむろする、何か特別の理由があったのでしょうか？

        
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    <title>電車の席がせせこましい</title>
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    <published>2010-01-31T15:40:47Z</published>
    <updated>2010-01-31T15:47:13Z</updated>
    
    <summary>歳を取ると文句ばかり言うようになるが、そのひとつ。 通勤電車の席、どうしてこの頃...</summary>
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        歳を取ると文句ばかり言うようになるが、そのひとつ。
通勤電車の席、どうしてこの頃、あんなにせせこましく区切るんだ？！　皆がこちらに尻を向けてはすごい勢いで座席に「着陸」すると同時に、こちらは肘鉄を食う。座席の区切りが狭すぎるからだ。
昔は区切りなどなく、混んでる時は皆くっついて座ったが、すいてる時はゆったり座れたのに。
通勤電車の座席についてる区切りはとって、みな真っ平らに直してほしい！
        
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    <title>レオニードが亡くなった――日露文化交流を支えてくれた人たち</title>
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    <published>2010-01-23T14:47:30Z</published>
    <updated>2010-01-23T15:04:47Z</updated>
    
    <summary>僕は９１年から９４年、激動のロシアで、大使館の広報と文化交流を担当していた。 あ...</summary>
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        僕は９１年から９４年、激動のロシアで、大使館の広報と文化交流を担当していた。
あの頃からもう２０年、信じられない。そして世話になった、正直で気のいいロシア人たちが一人、また一人と亡くなっていく。さびしいことだ。日本経済研究では第一人者だったラムゼス氏、大学の日本語教育を支えたストリジャク氏、マエフスキー氏、そして今度はレオニードだ。

日本人の母とロシア軍人の間に生まれたレオニード。会ったことのない母親を探しに日本にまで行ったことがある。戦争が残した日系人は、ロシアにも実は沢山いるのだ。彼は日本人特有の正直な人柄だったが、ロシアの社会のウラとコネも知り尽くし、その使い方がうまかった。大使館から日本人形やビデオや写真パネルを借りて、ロシアの奥の奥地にまで汽車や車ででかけては、日本、日本文化をロシア人に紹介してくれていた。もう２０年間も。彼がほとんど手作りでやった展示会は、もう１００万人以上ものロシア人が見ただろう。

年末に新型インフルにかかって、それでも元気にしていたのに、使っていた肝臓の薬で免疫力が落ちていたとかで、６０歳くらいで突然亡くなってしまった。こういう時、残された子供の教育費を見てあげられたら。

        
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    <title>少子化対策担当大臣、福島さん</title>
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    <published>2010-01-05T14:46:19Z</published>
    <updated>2010-01-05T14:46:49Z</updated>
    
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    <title>少子化対策担当大臣、福島さん、保育園不足対策は？</title>
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    <published>2010-01-05T14:46:19Z</published>
    <updated>2010-01-05T15:04:24Z</updated>
    
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        新年早々、福島瑞穂少子化対策担当大臣の記者会見があったので、今全国で深刻な問題になっている保育園不足対策でも発表するのかと思ったら、自分の党が掲げる安保政策のことばかり。
保育園不足は規制緩和だけではだめで、財源不足の地方自治体に中央政府がもっと補助金をつけなければ動かないことだと思うのだが、昨年末のあの予算組み換え騒ぎでこのことは何か議論されたのだろうか？

保育園増設は、所管の厚生労働省、幼稚園を所管する文部科学省、地方自治体、予算を握る財務省がからむ問題だが、この複雑な方程式を解いて解を出すのは、少子化対策大臣の仕事ではないか？　保育園は、福島大臣が担当する「男女共同参画」の基礎でもある。

出産を奨励するだけで、あとは女性を家庭にしばりつけて子供の面倒を見させるだけでいい、まさかそういう風に彼女が考えているとは思えないが、この問題についてこそ福島大臣に記者会見を求めたい。それとも、社民党は女性票を軽視しているのか？
        
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    <title>ハイパー・インフレがソ連で囁かれるようになったのは、実際の２年前</title>
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    <published>2009-12-28T16:16:38Z</published>
    <updated>2009-12-28T16:38:14Z</updated>
    
    <summary>（今、年末の大掃除で机の上のメモを整理中。それでアップロードが増えています） ソ...</summary>
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        <category term="経済" />
    
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        <![CDATA[（今、年末の大掃除で机の上のメモを整理中。それでアップロードが増えています）
ソ連はすべての価格を国で決めていた。牛乳、肉など手厚い政府補助金で、低めに維持していたのである。それが石油価格の低下で財政が赤字に陥り、価格補助金を維持できなくなった時、先日亡くなったガイダール首相代行が１９９２年１月に国定価格を一気に廃止したのだ。価格はそれからの２年間で６０倍に跳ね上がった。ハイパー・インフレである。

それは本当に見ていられない、可哀そうな光景だった。年とった人たちが、マイナス１０度以下の寒天に並んで、靴下などの不用品を手にぶらさげて売っていたのだ。
（熊野洋「遥かなる大地」草思社より　<a href="http://">http://www.amazon.co.jp/%E9%81%99%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E2%80%95%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89-%E7%86%8A%E9%87%8E-%E6%B4%8B/dp/4794211481/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1262017349&sr=1-1</a>）

だが、「ハイパー・インフレがやってくる。ハイパー・インフレしかない」という言葉は、もうその１年前の学会で囁かれていたのだ。ソ連という計画経済社会は、企業でさえ現金・銀行預金を自由に使えない社会だった。利益はすべて上に吸い上げられて、赤字の企業救済に回されていたのだ。

ところが経済活性化を進めるゴルバチョフは、確か１９８８年頃だと記憶するが、「協同組合」形式で計画経済に服さない、一種の民営企業を設立することを認めたのだ。これで国営大企業の社長達は、裏金作りにこの「協同組合」を利用し始める。協同組合を夫人に作らせては、ここに大企業の製品を安く卸し、高く売らせて差額を着服したのである。このことと、労働者の賃金が野放図に上げられたこと（他の企業に移るのを防ぐためだった）で、極力市場から遠ざけられていた現金が、市民のタンスにあふれるようになり、これで経済学者達は、「このままではハイパー・インフレがやってくる。ハイパー・インフレになるしかない」と囁くにいたったのである。

国債が積み上がる日本の現状は、当時のソ連とはまた一味違うが、かなりのインフレへの危険は秘めている。僕はまだ大丈夫だと思っているが、津波と同じでどうなるかわかったものでない。]]>
        
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    <published>2009-12-28T16:10:04Z</published>
    <updated>2010-01-12T09:08:34Z</updated>
    
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        <![CDATA[<br />]]>
        
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    <title>官僚たたきだけでは、動かないことがある</title>
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    <published>2009-12-28T15:10:03Z</published>
    <updated>2009-12-28T15:21:41Z</updated>
    
    <summary>ある日の大新聞のコラムが、規制緩和を唱えていた。規制緩和には大賛成だが、「なぜ規...</summary>
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        ある日の大新聞のコラムが、規制緩和を唱えていた。規制緩和には大賛成だが、「なぜ規制を緩和あるいは廃止できないのか、その説明責任を官僚側に負わせることから始めるべきではないか」という箇所にはあまり賛成できない。

官庁が自分達の利益を守るために規制をしているなら、このやり方で効果はあるだろうが、規制のうちかなりの部分は特定業界、特定大企業の利益に奉仕して新規参入を締め出すために行われているものもあるはずだ。こういうものは、いくら官僚を叩いても、彼らは本当の背景を言わず、ただじっと罵倒に耐えているだけだ。言えば、脅迫を受けるかもしれないし、特定業界・大企業の意を受けた代議士から左遷の圧力を受けるかもしれないからだ。

マスコミがこれまでやってきた「官僚たたき」は、官僚を完全なクロとして、面白いようにいたぶってきたが、それだけではものごとは変わらないことがある。
マスコミも、ものごとを単純なドラマ化して売り上げを伸ばすだけでなく、もっと社会のウラ、構造を読者、視聴者に説明してくれないと、実質的には既得権益の共犯となりかねまい。

        
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    <title>５年ぶりのデリー、発展の諸相</title>
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    <published>2009-12-27T15:05:51Z</published>
    <updated>2010-01-27T14:23:29Z</updated>
    
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        <![CDATA[（この１２月、５年ぶりにインドのデリーに行く機会があった。偶然、鳩山総理のインド訪問と重なったが、今日やっと印象記を書きあげたので、掲載します。インドの外交政策についての印象記も書くつもりですが、それは来年になってからにします）

インド行きのＪＡＬは満席だったが、この頃はエコノミーがビジネス・クラス並みの広い座席になっていて、快適だった。
インドへ行く飛行機と言えば、バンコクとか南をずっと大周りで行くのだろうなと思っていたら、今の時代は上海からユーラシア大陸に突っ込んで、蘇州は太湖の北をかすめて武漢、重慶、昆明の上空、ミャンマーの古都マンダレーの北から、太平洋戦争の転換点、地獄のインパール作戦の上空（ワコールの故塚本幸一会長などがその後、密林を彷徨ったところ）、バングラデシュを突き抜けてデリーへまっしぐらなのだ（地図を見ていたら、バングラデシュの東側にもインド領が入り込んでいて、だからインドとミャンマーは国境を接していることを発見した）。それでも９時間かかる。

昔はよく、空港のパスポート・コントロールのあたりから早くも賄賂を請求された話など聞いたことがあるが、空港では５年前もそんな目にあったことはない。ただ両替所が１軒しかなく、係員も一人で、「２分待て。２分待て」と繰り返すばかりなので、この国では「２」の意味がとてつもなく重いのだろうと思って両替を諦めた。

<strong>インドは中央アジアと同根の文明</strong>
デリーの空港ターミナルの前は、モスクワのコムソモール広場のあたりのような感じだ。と言ってもわかってもらえないだろうが、昔の上野駅前広場のようなところで、要するに言いたいことは、よくインドの雑然としたところが好きで、こういうのはインドにしかないと思っている人がいるが、インドに似た国は他にもあるということなのだ。

カーラジオから流れ出る鼻声のアルト、半音を多用した蛇のうねるような音楽、そして白茶けた街の様子は、中央アジアのタシケントそっくりでもある。もともとインドの北は「ヒンドゥスタン」という名が示すとおり、ペルシャ文明圏の一部だったし、中世にはチムール帝国の末裔バブール王子が今のウズベキスタンから南下してきて作ったのがムガール王朝だ。このあたりの習俗、工芸品の意匠、音楽などはモロッコの方まで広がるオリエント文明圏の一部に属するものに見える。

そして空港から都心への埃っぽい道は、タイならさしずめ１５年程前の情景。これからの経済成長に向けて身構えた姿とも言える。空気はいつも霞かスモッグのせいで白くくすんで、色がさえない。サマルカンドあたりの灼熱の太陽の下、強烈な原色の数々がシンフォニーを織り成す世界は、望むべくもない。

<strong>インドの車</strong>インドは左側通行だ。同じく英国の影響が強くても、米国、中国は右側通行なのは面白い。日本でも、関西は右側ということにでもすれば面白かろう。
インドというと、車の左側サイドミラーが寝かせてあることで有名だ。インドの道では人力車、オート３輪、車、牛がぎりぎりに接近してくるので、怪我をさせないよう寝かせてある。ナノ財閥が大衆用に２０００ドルで発売した有名な「ナノ」などは、最初から左サイドミラーをつけずにその分だけ安くしてある。確かに運転席と反対側のサイドミラーはなくてもあまり困らないし、合理思考のアメリカでもかつてこれのない車を見かけた記憶がある。

もっとも左のサイドミラーを使っている車も、けっこう多い。５年前と比べると道路の雑踏の中を平然と歩く白い牛も、車の奔流の中をあちこち飛び回る人力車もめっきり減って、車の世界になった。ミゼットのようなオート３輪タクシーは相変わらず多いが、５年前と違って今ではメーターがついている。そしてバイクが多くなった。
２０００ドルの大衆車「ナノ」は、僕を案内してくれた学者によれば「ステータス・シンボルにならないから」ということなのかどうか、まだ数台しか見かけなかった。それでも納入を待たされているのだそうだ。この「ナノ」、一見したところ塗装とか仕上げが良くて、中々見栄えのする車なのだ。
<img alt="RIMG0723.JPG" src="http://www.japan-world-trends.com/ja/RIMG0723.JPG" width="300" height="225" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<strong>５年前との変化</strong>
今回、牛はもうほとんど見かけなかったが、野犬が多かった。全員茶色で、柴犬を長細くしたようなかっこうの雑種。徒党を組んでいるものは少なくて、ただ一人道路を渡るのがうまい。セダン、トラック、オート３輪、人力車、そしてバイクと雑踏する中、右左を見まわしてうまく渡っていく。インテリジェントな犬だ。自立心がある上にインド哲学的と言ってもいいほど物静かだ。スキンヘッドのように徒党を組み、街を徘徊しては異人種を威嚇する、モスクワの野犬に比べればはるかにまし。

デリーの中心部は５年前と変わっていなかった。高層ビルも西欧化粧品のブティック店もない。ここでは地権が入り組み、再開発をめぐっては訴訟も起きているとかで、中国のように国有地を共産党幹部の鶴の一声で再開発にまわすようなことはできないのだ。だから経済成長のスピードも中国より遅い。
<img alt="RIMG0721.JPG" src="http://www.japan-world-trends.com/ja/RIMG0721.JPG" width="300" height="225" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /> (これがデリーの平均水準）

<strong>英国統治が残したものは</strong>１９世紀、英国は毎年、自国の貿易赤字の４０％にも相当する金額を、Home Chargeと称して植民地インドから巻きあげた。東インド会社はこの資金をひねり出すために、中国へのアヘン輸出に依存する。昔も今も、中国が超大国の赤字をファイナンスする構図なのだ。しかも英国は、当時世界に冠たるインドの綿織物に高関税をかけてその輸入を阻害し、代わりに機械で織り上げた安手の国産綿織物をインドに売りつけた。インドの貧しい農民がよく買えたものだと思うが、人口が多いので買い手もいたのだろう。ある時英国の要人は、「インドの野は綿織物職工の白い骨で埋め尽くされている」と言い、これがあたかも英国は暴力でインドの綿織物を殲滅したことの証左にされているが、そこまでひどいことはしなかったにしても、英国はインドを随分搾取した。
他方英国は、インドに鉄道網を張り巡らしたし、産業基盤も作り上げた。インド経済は発展しなかったが、それは英国に搾取されたためと言うより、農地が細分化されすぎていて、農民が綿花などの商品作物を作りたがらなかったためでもある。

まあそんなわけで、英国文明に対する尊敬の念もあって、インド人は英国による植民地主義支配を声を揃えて非難するところまではいかないのだ。それに「民主主義」というのがインドの識者にとって一種の宗教のようになっていて、それが国の誇り、自分のアイデンティティーのよすがだから、その本家英国への憧れはそう簡単にはなくならない。

今回僕を案内してくれた学者は、「英国はやはり法治主義を残してくれました。そして市場経済も」と言った。それは本当だ。

<strong>「絶対的な貧困」</strong>
５年前初めてインドに来て、オールド・デリーの雑踏や、ヴェラナーシの街並みを歩いた時、この情景が絶対的貧困というものなのだと思った。本当に何もない生活。ヴェラナーシのガンジー河畔には吹き抜けの楼があり、その２階では全国から巡礼で集まった老婆達が死を待っている。ここで死ぬと、河原で無料で焼いてくれて、聖なるガンジス河に灰を流してくれる。河原では、遺骸にシーツをかけて油をかけ、火をつけると燃えあがる。片側だけが焼けるとだんだん反っていったりして、そのうちに隠亡が遺骸に竿をつきさすと空中高く振り上げ、えいやと石にたたきつける。多分頭蓋でも割っているのだろう。

「こういう情景が人生観を変えた」、「インドは素晴らしい」という人がいるが、僕は少しも素晴らしいと思わない。変えなければと思うだけだ。
これだけの貧困の罪は、誰にあるのか？　どんな歴史に根差しているのか？　英国植民地主義のせいにすることも可能だ。彼らは前述のように、インドの綿織物産業を崩壊寸前に追い込んだ。だが１９世紀後半インドでは、綿工業が発展するのだ。これを打ち破ったのは、新興日本の綿織物工業である。
<img alt="RIMG0748.JPG" src="http://www.japan-world-trends.com/ja/RIMG0748.JPG" width="300" height="225" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />（５年前はこの３倍の密度の情景に、白い牛が２匹ほどいた）

<strong>「インド人」とはどんな人たちか？</strong>
日本人にしてみると、インドはやはり異質な文明だ。殆どのインド人は、顔つきはアーリア人と言うより、ペルシャ、アルメニア、トルコ人を思わせる。かなり色黒で、真っ黒に近い人もいる。そして感性が全く違う。日本人が人種的に抵抗を感じないのはせいぜい、中国人、韓国人くらいのもので、その中国人でさえ日本人の感性とはおおいに違う。
インドやロシアは西欧の白人社会と異なり、その街路風景にはどこか雑踏、混雑の趣があるが、日本と違ってやはり強い個人の自己主張の臭いが漂う。集団と親和性の高い中国、日本人とは、感性が遺伝的に違うのではないか？　
人間を細胞に例えると、インド人には殻がある。日本人には殻はない。一つの細胞のようでもあり、ないようでもあり、他の細胞と渾然一体に結び付いてしまう。現代は、その殻のない細胞を結び合わせていた村共同体という触媒が失われ、皆殻のないまま、くっつきもせずただ浮遊していると言うか。

だがインドの場合、カーストが最近まで強く残っていた。このように上下の格差がひどい社会では、大衆は主体性を持とうとしない。富は主人のもの、利益は主人のものだから、自分達は絶望感しか持たず、仕事は苦役でしかない。だからここでは、「気を利かせる」ということが少ない。この点、インドの民度は中国より劣るのではないか。
例えば、時間や約束を守らない。これは産業化以前の社会の特徴だ。Punctualityというものは、英国の産業革命とともに普及したものである。昨日合意したことを簡単に変えて、電話もしてこない。驚くほど、私用を理由にして約束を変える。子供が病気になった、自分が病気になった云々。

<strong>インドの民主主義</strong>
シンポジウムでは、何人かのインド人学者が、「民主主義こそはインドの特徴で、民主主義は絶対守らなければ・・・」的なスピーチをするのに何回も出くわした。この国の民主主義が大衆にまで及んでいるかどうか疑問だが、民主主義はインド人知識人にとっては、「ＧＤＰが世界でナンバー２」を誇りにしてきた日本の知識人と同様に、一種の旗印なのだろう。

だが、インドの民主主義とは混沌のことではないか？　テレビのディベート番組など見ていると、皆すごい勢いで言い争いながらものごとが何となくきまっていく。表で何を言っていようが、おそらく裏で決めればいいのだろう。

本当に皆自説を開陳するのが好きだ。割り当てられた時間を守らず、自分の意見をとうとうとしゃべり続ける。この点、中央アジアの方がはるかにディシプリンがある。
一方、大衆はボスからの指示が下りるのを待って、自分では動かない。学校では手を洗うことや、英語を教わるのだが、家に帰るとまったく違う。このような家庭で育った若者が大学に来ても、すべてを教師に期待し、自分では本を読もうとしない。

つまり民主主義や言論の自由は、この国では限られた層が気にかけているだけで、残りの人間達は同等扱いされていないのだ。ロシアと同じく、エリートと大衆の間は断絶しており、両者の間はあらゆる誤解とうそと言い訳と叱責に満ち満ちている。大衆は醒めているが、エリートだけが喧々諤々の議論の末、大衆の生活事情とはかけ離れたところで決定を下す――これがインドの民主主義なのか？

ロシアにはpolitical classというよくわからない言葉があり、官僚、学者、ジャーナリスト達が喧々諤々のやりとりの末、政治の多くを決めていく。彼らを「政治階級」と言うのだ。選挙が当局に操作されているので、大衆の意見は無視はされないにしても、政治における決定的な要因になりにくい。これは、インドでも同じだろう。大衆が無知で、政治に無関心だからだ。

インドの知識人には、話し相手の言うことを全然聞いていない者がいる。黙っているなと思うと、その人は心の中で一心不乱に考えており、次の瞬間、突然しゃべりだしたりする。これでは知的な行為と言うより、一種の知の排泄行為だ。

そして個人主義、民主主義に基づく社会では、他人の権利も自分のと同様に尊重するものだが、インドではそうなっていないこともある。大学の「ゲストハウス」では、実に夜の５時までドアを開け放って騒ぎまくり、平気でシャワーを浴びる隣人達がいた。だからインド人にとって、「モスクワは清潔で静かな」街に見えるのだ。

だがロシアや中国に比べれば、この国の民主主義はわりと基盤を持っている。土地などの財産がソ連、中国に比べてはるかに多くの人の手に分散しているので、それをベースに野党を作ることが容易である。ロシア、中央アジアで野党を作ろうと思ったら、まず党官僚が差配していた財産を奪うところから始めなければならないのに対して、恵まれている。

<strong>まだこれからの諸点</strong>
インドでは、水道の水を口に入れるとまだあぶない。すぐ腹をこわす。タジキスタンと同じだ。こういうところでは、歯磨きさえミネラル・ウォーターでやらないといけない。トイレには紙がなく、バケツが置いてあるのが普通だが（つまり手と水を使う）、客に茶を出すときは縁にその指をかけて出してくる。中央アジアと同じで、それがエチケットであるようだ。客は絶望感におそわれる。

デリーの通りでは、街灯がまだ少ない。なのに黒い肌に黒いシャツ、黒っぽいパンツ姿で通りを横切るので、あぶなくてしかたない。

交差点では、止まっている車に向けて、ガラス製のパイプや本や、あらゆるものを抱えた子供たちがものを売りつける。９０年代前半の困窮したロシアでも、交差点で子供たちがこうやって商売をしていたものだ。

インドでは誰でも英語を話すと思っていたが、話せるのはむしろ少数派だ。案内に雇ったタクシーの運転手も英語は完全に駄目だったし、学者達でさえ、英語がたどたどしい人達がほとんどだ。話せても、その発音は我々の常識からかけ離れている。

価格は安くて、大学の奨学金など月に１００ドルに満たないから、１００ドルの両替を頼むだけでも大変だ。１日タクシーを借り上げても、２０ドルくらいですんでしまう。日本では７０００円はするだろう立派なネクタイが、ここでは１０００円で手に入る。
学生用のレストランでの夕食代は１人で２００ルピーもしなかったが、ファイブ・スターのホテルのヴァイキング昼食は２０００ルピーだった。博物館の入場料は一般が５ルピーだが、外国人は１００ルピーを払わされる。これがインドの価格水準だ。

デリー大学は、広大な敷地を有する。木立の中に煉瓦で作られた建物が並ぶが、外側の仕上げは荒い。インテリアは問題がない。まだ学生運動があるらしく、立て看板やポスターがちらほら見える。カマとツチの、共産党のトレードマークも見える。立て看板、ポスターは、カーストの廃止を呼び掛けたり、農地の略取を批判するものが多かった。

<strong>「ゲスト・ハウス」エレジー</strong>
今回は大学でシンポジウムがあったので、その大学の「ゲスト・ハウス」に泊めてもらった。無料なので文句は言えないが、ぼやくことはできる。

受付の愛想の悪さはしょうがないとして、冬なのに部屋に蚊が多数いる。トイレの窓が開いていて、外から入ってくるのだと気がついたので、その窓を閉めようとすると、どうしても閉まらない。蝶つがいがはずれかかって、建てつけが悪くなっているから閉まらないのだ。困って机の引き出しを開けると、日本的な蚊取り線香が置いてある。しめたと思ったが、ライターもなし、マッチもない。ヤレヤレ、シャワーでもと思ったが、いくら見回しても石鹸がない。やれやれと思って湯の栓をひねったつもりが、いつまでたっても冷たい水が裸の足元ではねかえるだけ。壁にかかる電気ボイラーで水を温めるシステムになっているのだが、ボイラーのスイッチが入らない。ままよ、昔モスクワでは毎年春、まだ寒い頃に集中暖房の給湯が１カ月くらい止まって水シャワーを浴びていたではないか、それに小さい頃はお湯の出てくるシャワーなど身の回りになかった、がんばれ、ということで、最初の日は石鹸なしの水シャワーを浴び、身も心もしゃきっとしたが、僕をインドに送りだした某大学の某教授への怒りがむくむくと盛り上がった。次の日は、電気ボイラーのスイッチの入れ方がわかって、めでたくお湯のシャワーを浴び始めたのだが、さあ頭を洗おう、かゆいなと思って石鹸を塗りたくった途端、お湯が水に変わり始めた。電気ボイラーというのは、こうなのだ。
そして夜。冬とは言え昼は暑かったデリーも、夜半になるとさすがに冷え込む。ところが夜具は薄べったい毛布が一枚だけ。それも短かめで、足が出る。シンポジウムを主宰している教授の名がワリクーだったので、最初から悪い予感がしていたのだが、やはり割食う羽目になってしまった。

<strong>シンポジウム</strong>
シンポジウムがやっと始まった。だが開始後も、人が会議場にしょっちゅう出入りする。携帯の呼び出し音が鳴る。窓の外では犬が数匹吠えたてている。組織だったロジがないので、主宰者からの指示がないと助手達は何もしない。この混沌たる情勢の中、形式ばった挨拶だけが延々と続いていく。

そして社会主義圏から来た人達は、当意即妙のプレゼンテーションができない。準備してきた原稿を、「発言時間１５分」と言われても気にせず、３０分間も読み上げて平然としている。「国際シンポで論文を発表した」というのは彼らの履歴では大変な業績になるので、自由闊達な議論などどうでもよく、苦心して書きあげた論文を読み上げるために彼らは来たのだ。

インドにも、いろいろな人たちがいる。インド的な訛りのない立派な英語で、客観的で深い分析をすることができる者もいるが、それはほんの少数で、国際関係の学界はまだ発展途上だ。「日本はアジアなのか、西側につくのか、はっきりしろ。ＯＤＡなどと偉そうなこと言っていないで、もっとアジアと一体化してやらないとだめだ。３年後には膝を屈して仲間に入れてくれと頼んでくることになるぞ」などと僕に迫る老学者がいたりして、日本はアジアでも西側でもない、日本は日本だ、と考える僕はむっとしたりした。

<strong>経済発展の諸相</strong>
北京、上海と比べると、デリーは未だに高層ビルがほとんどない街だ。郊外に数軒そびえているだけ。インドは私有地が多く、「国有地を再開発」する手が使えないのだ。アメリカ的なショッピングモールも、中型のがやっとちらほら出てきた程度のようだ。
行ってみると駐車場は狭いし、建物の仕上げはどこか雑だし、インテリアもどことなく雑然としている。そしてもっと重要なことだが、従業員の働きぶりがよくない。レジに３～４人いたのだが、仕事をするのは女性１人だけ、男達は顧客の方を努めて見ないようにして、自分達の間でだべっていた。

だが一流ホテルは、別世界だ。従業員の英語は流暢だし、サービスも速い。従業員がいつも気を配って、ニーズを探しているのが決定的にいい。それに、レストランではどのウェイターに頼んでもいい。その代わり、ビュフェ・ランチが２０００ルピーしたが。先進社会になるまで遠いように見えるが、外国からの直接投資が増えればすべては前向きに回りだす。インフラだけでなく、従業員のメンタリティーも確実に変わっていく。
あるインド人に経済成長を実感できるかと聞いてみたら、いろいろな答えが返ってきた。中には、「奨学金は１００ドルもない。経済成長を感ずるとしたら、物価がどんどん上がることだけだ。」という人もいた。

帰りの飛行機のＪＡＬチェックイン・ゲートの隣りは中華航空（台湾）で、ROME行きと書いてある。方向が正反対だ。こちらは内向き、むこうは外向き。時の勢いだ。
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